「花神」(司馬遼太郎 著) の読書感想文と、村田蔵六さんの足跡を訪ねて(宇和島,大阪)

「花神」は、幕末に長州藩の討幕軍総司令官となった大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた本です。

「花神」の説明

寡黙で人付き合いが拙く、「お暑いですね」という挨拶に「夏だから暑いのは当たり前です」と何とも空気の読めない返事を返すお人、村田蔵六さん。挙句、高杉晋作から「火吹達磨」というあだ名を頂戴するほどの醜男でした。

にもかかわらず、同時代の誰よりも秀でた語学力と緻密な計画力、それに先を見通す豊かな想像力で、寒村の医者から転じて医療・軍事の翻訳技師になり、最終的には討伐軍の総司令官となった村田蔵六の生涯を描いています。

上・中・下巻の3冊構成。

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「花神」の読書感想文

「花神」は、司馬遼太郎さんの本の中で私の暫定1位です。(暫定2位が「坂之上の雲」、3位が「新撰組血風録」)
自分が技術者として日々を過ごしているので、栄達を求めず一技術者として愚直にひたすら技術を磨き続けた蔵六さんの生き様には、学ぶところが多いです。

大坂で適塾の塾頭を務めるほどの秀才でありながら、家業(医者)を継ぐため故郷に戻らざるを得なかったり、時代の寵長州藩にいながらも何年もの間地味に埋もれ続けてしまったりと、技術者らしい世渡り下手な点にも共感を覚えます(笑)

そんな蔵六さんですが、蘭学者を求める幕末という時代の需要に合わせる形で、長州から宇和島、宇和島から江戸へと蔵六さんの運命は次々と展開していきます。

村田蔵六さんの住居跡(愛媛県宇和島)

村田蔵六さんの軌跡を訪ねて、愛媛県南部(南伊予)にある宇和島を旅しました。
宇和島には、蔵六さんが宇和島藩で過ごしていた頃の住居跡が残っていました。JR宇和島駅から南に徒歩15分ほど行ったところにあります。
 (住所: 愛媛県宇和島市神田川原
  地図: http://loco.yahoo.co.jp/place/g-Qhf71i2qB2o/map/
  JR宇和島駅から南下し、神田川にぶつかったら川沿いに歩いていると、住居跡の看板が見つかります)

着いた瞬間、「あれ、狭いな」と感じる程こじんまりとした場所で、住居跡の目の前に美しい小川があり、鴨が1羽を散策されるのがお好きだったそうです)

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡の目の前の川

住居跡には真っ白な石が敷き詰められていて、敷地の奥には綺麗な黒い石で作られた椅子と机があり、訪れた人が腰掛けて休めるようになっていました。宇和島周辺の蘭学関連の史跡案内のパネルも置かれています。

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡にある史跡案内

宇和島は海に面しており、蔵六さんの住居跡から海へも徒歩10~15分程です。静かな街で、近くの道の駅では新鮮な魚が魚の形をしたまま売られており、魚も練り製品も美味でした。

村田蔵六さんの終焉の地(大阪)

大阪市内を自転車で走っている時、村田蔵六さんが息を引き取られた場所を偶然通りすがりました。
 (住所:大阪府大阪市中央区法円坂2丁目1番14号(大阪医療センター)
  地図:なし
  大阪市営地下鉄谷町線の谷町四丁目駅から徒歩圏内。大阪医療センターという国立病院の敷地の角です)

見上げるほど大きな石碑が置かれていました。

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その1

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その2

師:緒方洪庵さんに蘭学を学んだ地で息を引き取られたのかと思うと、不思議な感慨が沸きました。最期にお世話になった病院が、病院として今も同じ場所に在るのも嬉しかったです。