アガサクリスティ」タグアーカイブ

「オリエント急行の殺人」(アガサ・クリスティ) 読書感想文

英国が世界に誇る、推理小説の名作。実際に読んでみるまで、こんなにも切ないお話だとは知らなかった。

「オリエント急行の殺人」のあらすじ

※ストーリーの最初の41ページ分のみを記載

ベルギー人私立探偵のエルキュール・ポアロは、フランス陸軍での事件を解決し、若いフランス陸軍中尉に見送られて朝5時に極寒のアレッポ駅からタウルス急行に乗り込み、イギリスへの帰路についた。

タウルス急行で何時間か仮眠を取った後、ポアロが熱い珈琲を飲むため食堂車に赴くと、食堂車に客は家庭教師風の若い女性1人しかいなかった。その女性は、自分の面倒は全て自分で見られるような自立した女性で、冷静で頭の切れる人だとポアロは感じた。そのうち、彼女の向かいの席にインドから来たイギリス人のアーバスノット大佐がやってきたが、2人はぎこちなく、二三言葉を交わす程度だった。

昼食で女性–ミス・デベナム–と大佐は少し打ち解けた様子を見せたが、その日夜、列車が停車した際にポアロが駅へ降り立つと、プラットホームの端で、彼女に「メアリ」と呼びかける大佐と、「今はだめ。何もかもがすんでから」と返す2人の会話を耳にする。

翌日、食堂車から火が出てタウルス急行が予定外に停車した際、ミス・デベナムは取り乱し、何としても九時発のシンプロン・オリエント急行に乗らねばならないのだ、と訴える。だが彼女の心配は杞憂に終わり、タウルス急行は5分遅れで目的地ハイダパシャへと到着した。その後ポアロは、ミス・デベナムともアーバスノット大佐とも顔を合わせず仕舞いだった。

その日ポアロはオリエント急行には乗り継がず、トカトリアン・ホテルに宿泊する予定だった。だが、1通の電報が舞い込み、急ぎロンドンへ帰るよう促されてしまう。ポアロは九時発のシンプロン・オリエント急行で帰るようホテルに手配して貰い、食堂で食事に取りかかった。そこで偶然にも、国際寝台車会社の重役でありポアロの旧友でもある、ムッシュー・ブークに出会う。そしてブークと別れた後、一見心優しい慈善家風の、だが、眼だけが狡猾そうで落ち着きなく辺りを見回している奇妙な男を見かけた。その男は初老で、感じのいいアメリカ人の秘書を連れていた。

ラウンジでブークと落ち合ったポアロだったが、ホテルの者が、今夜に限って何故かオリエント急行の一等は全て満室である、と告げに来た。重役としての立場を使ってブークがオリエント急行の一等ー寝台の提供を請け合ってくれ、ブークとポアロはオリエント急行の発車駅へと向かう。駅に着いても、やはり九時発のオリエント急行一等寝台車は予約で全て満室だったが、発車間際になっても現れない乗客の部屋をブークはポアロにあてがってしまい、ポアロは無事にオリエント急行の乗客となった。

「オリエント急行の殺人」の読書感想文

※本作品とアガサクリスティ「カーテン」のネタバレを含みます。問題ない方のみ続きをお読み下さい。

遺族の苦しみ

殺されたり自殺に追い込まれたりして、命を落とした犯罪被害者の方々。その方々ご本人の苦しみは筆舌に尽くしがたいものだったと思うが、この小説で焦点になっているのは、家族が犯罪に巻き込まれ、家族の1人ないし複数人を理不尽に失った遺族の方々だ。

犯罪に巻き込まれ突如理不尽にも家族を失った人々は、遺族は加害者への怒りと憎しみ、遺された苦しみや辛さを味わい続ける。
しかも、加害者は法の下で正当に裁かれず、遺族のような苦しみを味わうことなく、社会的制裁を受けることもなく、被害者の命を元手に巻き上げた大金で悠々自適の海外暮らしをする。

社会通念上、このような理不尽が許されていいのだろうか、という命題を本書は投げかけている。

法で裁くことのできない犯罪

法で裁くことのできない犯罪という命題は、アガサクリスティの作品で時折見受けられる。ポアロ氏最後の推理「カーテン」もその一つで、こちらも印象的だが、私はオリエント急行の方に、より強く苦しみと悲しみを感じた。

加害者が何の苦もなく暮らし、遺族が苦しみ続けるということは、社会通念上あってはならないが、司法や法律の世界ではありえてしまう。

法で出せなかった答えを、誰がどう出すか。名探偵の出した答えの1例が「カーテン」であり、遺族の出した答えの1例が、この「オリエント急行殺人事件」だと思う。

どちらのケースも、数ある答えの中の1つでしかない。この2例以外にも、無数の答えがある。
だが、オリエント急行の遺族達が出した答えは、間違っているとは心情的に言い難い。法に従うべき一市民としてはあってはならないのだろうが、この小説を読み、法を遵守しきれなかった遺族達を糾弾できる人は、人であって人でないような心持ちがする。

「素晴らしい」と手放しでは言えないが、「よくやった、もう苦しまなくていい」と伝え、ねぎらってやりたい。そんな気持ちになる。

ポアロ氏の2つの解答

なので、我らが名探偵ポアロ氏の提出した2つの解答には、喝采をあげたい気持ちになった(笑)

本文を読み始める前に目次に目を通した際、最終章が「ポアロ、2つの解答を提出する」と書かれており、「?」となったが、読後は遺族全員と鉄道会社の両方に配慮したポアロ氏の解答に痺れた。

テレビドラマ版「オリエント急行殺人事件」

名探偵ポアロシリーズは、アガサクリスティの原作とデヴィッド・スーシェ主演のTVドラマシリーズの両方を楽しむ派なのだが、本作のTVドラマ版は映像が恐ろしく美しかった。

オリエント急行の内装の美しさもさることながら、オリエント急行を彩る風景の美しさは、言葉では表現しがたい。暮れゆく日、降りしきる雪、雪深い景色に立つ人々…。

原作から多少ストーリーが変えられており、原作であれほどのインパクトを放ったミセス・ハバードの出番が少ないのが少々気になるが、それを差し置いても一見の価値ありである。

created by Rinker
ハピネット ピーエム
¥6,364 (2024/04/20 01:03:39時点 Amazon調べ-詳細)

「春にして君を離れ」(アガサ・クリスティー 著) あらすじと読書感想文

法律を無視した犯罪はカケラも登場しない。だが、その割にストーリーが残酷すぎると感じるのは、私だけだろうか。

「春にして君を離れ」のあらすじ

※ストーリーの最初の60ページ分のみ記載

有能な地方弁護士の妻であるジェーンは、バグダッドへ嫁いだ末娘の看病を終え、自宅のあるロンドンへ帰宅しようとした途中、鉄道宿泊所の食堂で偶然、聖アン女学院で学友だったバーバラと出会う。

女学院の頃みんなのアイドルだったバーバラが、みすぼらしい服を着、品のない話し方をして、恥も節操もなくあけすけに気ままで無責任極まりない半生を語る姿を見て、ジェーンは驚き、強いショックを受ける。
反面、未だ若々しく、弁護士の妻として家庭や地域コミュニティを切り盛りし、時には夫に変わって理性を働かせてきた自分自身を、改めて誇らしく感じたのだった。

バーバラと別れたジェーンは、列車から車へと乗り換え、次の乗り継ぎ駅であるトルコの国境の駅へと向かうが、車はぬかるんだ道に何度も車輪を取られ、車がようやく駅についたときには、予定していた列車はとうの昔に出発してしまっていた。

駅の鉄道宿泊所で一夜を明かしたジェーンだったが、宿泊所の周辺には太陽と空と砂しかなく、列車も明日まで来ないことを告げられる。
散歩をし、手紙を書き、手持ちの本を読みながら、夫や自分の身に起きた過去の情事を振り返って時間を潰すジェーンだったが、やることがない上に列車も雨でしばらく来ないことになってしまい、次第にロンドンでの日々と自分の家族と自分自身の振る舞いを思い出す時間が長くなっていく…。

「春にして君を離れ」の読書感想文

※ストーリーのネタばれを含みます。問題ない方のみ続きをお読み下さい。

名探偵ポアロシリーズとは随分毛色の違う作品で、推理モノを求める方は肩すかしを食らってしまいそうだ。当初この作品は、アガサ・クリスティではなく、メアリ・ウエストマコット(Mary Westmacott)という別のペンネームで出版され、推理モノを求める読者を失望させないよう、四半世紀近くも著者自ら箝口令を敷き、アガサクリスティと同一人物とは分からぬよう配慮していた、というのだから、本書から立ちのぼる雰囲気の違いにもやや納得である。

本書には、名探偵はおらず、殺人も詐欺も強盗も登場せず、ただイギリスのありふれた家族が二三登場する。だが、私にはこの本のストーリーが残酷で、恐ろしかった。

主人公ジェーンは若々しく、実務的で、自信に満ち溢れており、夫と家族を愛している。有能さとその自信とが、少々鼻につくくらいだ。
だが、列車待ちという手持ち無沙汰の時間が長引くほど、過去の自分と自分の関わった出来事とを思い出し、次第に自分と家族との間に生じた亀裂に距離に気づいていく。
理性を働かせ夫の無軌道を諌めたつもりが、夫の抱えていた夢を無残に突き崩してしまっていたこと、夢破れた夫は家族を守りながらも、勇気ある1人の女性への想いを募らせていたこと、等々…。

問題は、主人公の女性が、夫と家族を心から愛していることだ。多少自己中心的で、言い出したら何としてもやり通すという長所と短所が表裏一体の性格を有してはいるものの、妻として母として理性と愛情をもって長年家庭を切り盛りしていたはずが、実際には、夫の心は離れ、子どもたちからも信頼しては貰えず、真実を知らぬまま、独り道化のような日々を送っていたとは..。
悪意ではなく愛情から出た結果であるが故に、救いがない

物語のラストで主人公ジェーンには、夫に赦しを乞うか、これからも今までどおり過ごすかの二者択一が用意され、主人公はつい後者を選んでしまう。そして夫は、主人公がこれからも孤独に気づかぬようにと願う。
妻も夫も互いに優しく接してはいるが、離れた心は最後まで交わることなく、物語が終わってしまう。残酷だ。

しかも、真面目でよく働く夫に男女3人の子どもという、ありふれた家庭が題材となっているので、「この悲劇は、どこの家庭でも起こり得るものなのでは…」とつい考えてしまう。こうした流血のない悲劇が、時折起きてはニュースにもならぬまま日常に埋没しているかと思うと、下手な殺人事件よりよほど恐ろしい。

読後私は、そっとわが身を省みた。私自身、家族に見捨てられたりしていないだろうか。今は大丈夫だと思うが、良かれと思った愛情が、相手の人生を壊すほど苦しめてしまうということは…忘れない方が良さそうだ。

ロドニーとレスリーの関係

閑話休題。

ロドニーとレスリーの生き様は、よく似ている。農場や土いじりの仕事を愛し、結婚後に伴侶の過ちで苦しみを強られ、家族を守るため自らの心身を削りながらひたすら働いた。
彼らの関係性を考えるとき、シェイクスピアの詩編↓が重要な役割を果たしている。

But thy eternal summer shall not fade
汝が常しえの夏はうつろわず

上記の詩は、10月にロドニーとレスリーが燃え立つように美しく輝く森を眺めているとき、レスリーが呟いた言葉だ。この文章は、シェイクスピアのソネット集18番という、ソネット集の中で最も有名な詩の一部だそうだが、日本人にである私たちには馴染みがない。(作中で、妻ジョーンがソネット18番を夫ロドニーの面前で暗誦してみせ、それ以外にもいくつか詩編を口ずさむ場面がある。英国で十分な教育を受けた女性には、馴染み深い詩なのかもしれない。)

18番は、詩に登場する美しい「あなた」を夏に例えながら、情熱的に「あなた」への想いを歌い上げる詩だ。
全ての美しいものが移ろい色褪せてしまっても、「あなた」はうつろわず、美しさを失うこともない、「あなた」は詩の中で時と溶け合い、永遠に生き続ける。そういう歌らしい。

季節こそ10月だが、美しい風景を見ながらレスリーが、ロドニーの傍らでこの一句を呟く。それは詩という形を借りた、レスリーからロドニーへの愛の告白に思える。だがロドニーはこの詩をよく知らなかったため、自宅に戻り妻に詩の全文を暗唱して貰った後、レスリーを理解しようとする。そしてレスリーが死してなお、レスリーを想い続けるロドニー。

ロドニーもレスリーもお互い妻子のある身だが、それを踏まえても、プラトニックで美しい悲恋だなあ、と感じた。

created by Rinker
¥970 (2024/04/19 12:44:25時点 Amazon調べ-詳細)

「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」(アガサ・クリスティー 著) あらすじと読書感想文

小説全体から溢れる、溌剌とした雰囲気がお気に入り。名探偵ポアロ氏が登場しない作品だが、アガサクリスティ女史の作品はハズレがない。

「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」のあらすじ

※全35章中第1章のあらすじのみを記載

ウェールズの海辺の町に住むボビイ・ジョーンズは、トーマス医師とゴルフの16番ホールを回っていた。
ボビイの打ったゴルフボールは、右方向へすっ飛び、視界から見えなくなってしまう。残念ながら逆光であたりは思うように見えず、しかも太陽は沈みかけており、海辺からは薄もやまで立ちこめてきていた。ボビイには叫び声のようなものが聞こえた気がしたが、トーマス医師には何も聞こえなかった。ボールは何とか見つかったが、ボビイはボールをコースに戻すことが出来ず、16番ホールをギブアップする。

17番ホールはボビイの苦手なコースで、コースの途中に深い割れ目がある
割れ目を飛び越すようにしてボールを打たねばならないが、ボビイの打ったボールはこれまた見事に、割れ目の深淵へと落ちて行った。またしてもボールを探す羽目になったボビイが、崖を歩いて下っていくと、割れ目の下の方に何か黒っぽいものがあることに気付いた。

トーマス医師とともに割れ目を下へ下ってみると、黒っぽく見えたものは、背骨を折り、意識を失った姿の40歳くらい男だった。

トーマス医師は既に手遅れだと診断し、人を呼ぶために男とボビイを残してその場を立ち去る。
ボビイが男のそばに腰を下ろし、煙草を吸いながら、男の陽に焼けた肌と機知と魅力に富んだ顔立ちを眺めていると、男はパッチリと目を開けて、真っ直ぐにボビイを見、はっきりとこう言い残して息絶えた。

「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」

「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」について

原題は”Why Didn’t They Ask Evans?”。
著者はAgathe Christie、訳者は田村隆一。
ハヤカワ文庫、定価860円(税抜)。

「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」の読書感想文

※本書のネタばれを含みます。問題ない方のみ続きをお読みください。

アガサ・クリスティーの作品は、何といっても名探偵エルキュール・ポアロシリーズが好きだが、本作品に名探偵は出てこない。
代わりに、素人迷探偵が男女2人も登場する。

迷探偵はゴルフが下手で牧師の息子であるボビイと、お転婆の貴族令嬢フランキー(フランシス)の2人だが、2人は幼馴染みだけあって、会話のテンポが小気味良い。
慎重派のポアロ氏とは似ても似つかないほど、ボビイとフランキーは捜査の早い段階からあれこれ推理し合い、高級車ベントレーを飛ばして動き回っては、潜入捜査も辞さず大胆に調査を進めていく。

ポアロ氏を頭脳派とすると、ボビイとフランキーのコンビはアクション派だ

ぽんぽん飛び交う会話や、若い2人の行動に合わせて次々と舞台が移り変わっていくのが、ポアロシリーズにはない魅力だった。推理の方は素人探偵らしく、右に寄ったり左に折れたり大きな落とし穴に嵌ったりするが、それもまたボビイやフランキーの若々しさを感じられて、気持ちが良かった。

そして、肝心の「エヴァンズ」は、本書の最後の最後までどこの誰だかさえ判然としない。ようやく誰か分かったと思ったら、居場所がまたとんでもない(笑)
こんな読者がみなずっこけるようなオチを、よくも思いついたものだ。

アガサ・クリスティーの小説は、有名無名問わずハズレがなさすぎる。何を買ってもお金を損した気分にならないのは、読者としては有難い限りである(笑)

「マダム・ジゼル殺人事件」(アガサ・クリスティ 著) あらすじと読書感想文

「マダム・ジゼル殺人事件」のあらすじ

※全26章中第1章・2章のみを記載

イギリスのクロイドン空港へと出発する定期旅客便プロミシューズ号の16番席に収まったジェイン・グレイは、向かいの12番席を見ることを頑なに拒んでいた。高級美容院で働くジェインは、富くじ馬券で当たった100ポンドを使い、北部フランスの保養地ル・ピネを訪れた帰りだった。

機内では、生粋の貴族ヴィニーシア・カーと、コカイン漬けの伯爵夫人シシリー・ホーべリが甲高い声で喋り、音楽を愛するブライアン博士はフルート片手に思案に耽り、アルマン・デュポンとジャン・デュポンの親子が考古学上の議論を熱くかわし、クランシー氏が推理小説の構想を練り、ライダー氏が会社の資金繰りを思案し、探偵エルキュール・ポアロ氏が乗り物酔いを紛らわすため眠りに就いていた。12番席の歯科医の青年ノーマン・ゲイルとジェインは、向かい合わせの席で、お互いが初めて出会ったル・ピネでのルーレットのことを思い出していた。

スチュワードやメイドが行き来する中、何故か蜂が飛び回り、乗客の手によって殺される。そして最後部の2番席いたマダム・ジセルが亡くなっているのが見つかった。

マダム・ジゼルの容態を確かめるため機内で医師を呼びかけ、ノーマン・ゲイルとブライアン博士が確認したところ、マダム・ジセルの首元に何かに刺されたような痕が見つかる。発作か蜂によるショック症状ではないかと疑われ始めた頃、エルキュール・ポアロはマダム・ジセルの黒服の裾に、蜂に似た模様の何かが落ちていることに気付く。拾い上げてみると、何と吹き矢の矢針だった…。

「マダム・ジゼル殺人事件」について

原題は”Death in the clouds”。(意味:雲の中の死) 「雲をつかむ死」と訳されていることもある。
名探偵ポアロシリーズの長編小説。
著者はAgathe Christie、訳者は中村妙子。
新潮文庫、定価514円(税抜)。

「マダム・ジゼル殺人事件」の読書感想文

※犯人のネタばれを含みます。問題ない方のみ続きをお読みください。

アガサ・クリスティのこの作品は、素直に犯人に驚いた。犯人の立ち位置が良く心理描写もそれなりに多かったので、まさかこの人だとは思わなかった、というのが正直な感想。同じくアガサクリスティを読み耽っている親族に聞いても、この作品は面白かったと意見が一致した。

まとまったお金が入りお洒落をした若い女性が、腕の良い歯科医で立ち居振る舞いもいい若い男性と出会い、恋に落ちる。どちらも魅力的な容姿と人柄を持ち、2人ともが同じ避暑地で過ごし、同じ飛行機に乗り合わせて、殺人事件の現場にも居合わせたという縁も相まって、仲が深まり自然な成り行きで結婚を望む。そんな幸せそうな2人のどちらかが、既婚者でしかも殺人犯とは…。

アガサ・クリスティも、少々気の毒な設定を組んだものだと思う。残された1人には、アガサ・クリスティ&ポアロ氏により新天地と未来のパートナー(?)が用意されているので、後味の悪さがないのが有難い。未来のパートナーとして考古学に縁の深い人物が選ばれているので、アガサ・クリスティ女史自身が不幸な結婚の後考古学者と再婚を果たしたことを思い起こさせ、ある種最上の未来を用意してあげたんだなあ、と感じさせた。

「青列車の秘密」(アガサ・クリスティ 著) あらすじと読書感想文

「青列車の秘密」のあらすじ

第1章のあらすじ

パリのいかがわしい一画にあるアパートの5階。そこで、鼠のような顔を持つ小男と、どぎつい化粧をした女が富豪の到着を待っていた。
男の名はボリス・イヴァノヴィッチ、女の名はオルガ・デミロフ。男は、スパイの王とも言える男だった。建物の向かいでは、歩道の上で2人の男が同じく富豪の到着を待っている。歩道には2度2人の男の白髪の男が行き来し、その白髪の男こそが歩道の男どもの黒幕ではないかと推察された。

約束の時間になり、肩幅の広いアメリカ人の大富豪が、男女の待つ部屋を訪れた。取引の詳細を公にしない、という条件に同意した富豪は、小男の差し出した包紙の中身を丹念に調べ、札束と交換で包紙を受け取り、部屋を後にする。歩道の男2人が、音もなく富豪の後に続き、夜の闇に消えた。

「ホテルまで辿りつけると思うか」そう問うたボリスに、「辿りつけるでしょう」とオルガ。「ただ…」とオルガは言い淀み、富豪が持つ包紙の中身をプレゼントされるであろう女性については、言及を避けた。シルクハットをかぶり、マントをまとった上品な男が、通りをゆっくりと歩いていく。男が街灯のそばを通る時、豊かな白髪が照らし出された。

「青列車の秘密」のあらすじ

火の心臓と呼ばれる、きずのない大粒のルビー。名高い宝石の例に漏れず、美しさの裏に血塗られた歴史を持つこのルビーを贈られた女性が、超高級寝台列車ブルートレインの中で非業の死を遂げる。探偵として名声を博していたエルキュール・ポアロが偶然同じブルートレインに乗り合わせ、事件の調査を依頼された。

身寄りのない老夫人の遺産を引き継いだキャサリン・グレー、旧家に生まれながらも放蕩ほうとうな生活が祟り経済的に行き詰まっているデリク・ケタリング、デリクの愛人で派手な生活を好むダンサーのミレーユ、アメリカで指折りの大富豪ヴァン・オールデン、富豪の若く有能な秘書ナイトン、伯爵を名乗りつつも貴婦人を食い物にするド・ラ・ローシュ伯爵……。

さまざまな登場人物とその恋を織り交ぜながら、ストーリーは予想外の結末へと進んでいく。

「青列車の秘密」について

原題は”The Mistery of the Blue Train”。名探偵ポアロシリーズの一作。
著者はAgathe Christie、訳者は青木久恵。
早川書房ハヤカワ文庫出版、定価820円(税抜)。

「青列車の秘密」の読書感想文

※ネタばれを含みます。問題無い方のみ続きをお読みください。

アガサクリスティのポアロシリーズは、TVドラマと原作とを両方味わう派だが、このブルートレインについては、原作の方がおすすめできる

主人公であるキャサリン・グレーの過去や立ち居振る舞いや考えが厚めに描かれているので、より感情移入でき、淑女を絵に描いたような穏やかで思慮深いキャサリン側に、読者はどうしても立ちたくなる(笑)
キャサリンの今後に含みを持たせる終わり方になっているので、デリク・ケタリングとのこれからが気になりつつ、彼女により良い未来が広がっているといいなと思った。キャサリンなら、レコンベリー城主夫人も務まるだろう。

ちなみに、邦題「青列車の『秘密』」というのは誤訳じゃないかとすら思うほど、青列車は超高級なだけで普通の列車だった(笑) 「秘密」の一言で「情事」を暗示しているのかもしれないが、仕掛けつき列車をイメージした阿呆な読者(=私)もいる…。「青列車の難事件」とでもする方が、本文の内容に沿う気がする。

TVドラマ版では、「火の心臓」と「ブルートレイン」を映像で見ることができる。深紅の色をした大粒のルビーが美女と事件を彩り、内装に贅を凝らした超高級列車が何度も映し出されるので、見ていて楽しかった。TVドラマ版のポアロシリーズは、どの作品をとっても映像美がある。ドラマ版のキャサリン・グレーは物凄く清らかで可愛らしい方が選ばれており、特に眼福だった(笑)

登場人物の役どころとストーリーが原作からは大きく変更されているので、原作とは違う作品と思った方が、ドラマ版を楽しめるかもしれない。