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「ベートーベン―運命の大音楽家」(高木卓 著) あらすじと読書感想文

子どもの頃に繰り返し読んだ伝記からもう一冊。音楽にひたむきに打ち込むベートーベンの生涯が、読む人の心をとらえて離しません。

「ベートーベン―運命の大音楽家」のあらすじ

声楽を仕事とする飲んだくれの父親に育てられたベートーベン。
父ヨハンはベートーベンを、13歳で神童と呼ばれたモーツァルトのようにしたくてたまらず、まだ8才にもならないベートーベンを夜中の2時でも気にせず叩き起し、初見でピアノを演奏させたり、演奏の途中に転調を何度も入れて弾かせたりと、熱心すぎるほどのレッスンを行います。

ベートーベンは、父は自分を見世物のようにしてお金を稼ぎたいだけなのだと気付いていましたが、母の苦労を間近で見続けていることもあり、小学校まで辞めさせられても音楽から逃げることが出来ません。
父の熱心な教育の甲斐もあり、持ち前の才能をぐんぐん伸ばしたベートーベンは、11才にして宮廷音楽士として働き出し、作曲した曲を楽譜として出版し、貴族や侯爵の家でピアノを教えるようになります。

ですが音楽に打ち込む日々の中、恐ろしいことに、ベートーベンの耳は徐々に聞こえなくなっていきました。遺書を書き、一時は自殺まで考えたベートーベンでしたが、もう一度音楽に向き直り、再び素晴らしい曲を生み出していきます。

「ベートーベン―運命の大音楽家」の読書感想文

この本を読んでいた頃はまだ小学4年生くらいで、クラシック曲を聴く習慣がなかったので、どの曲がベートーベンの曲なのか全く分からないまま読んでいました。

ですが、耳が上手く聞こえないのに人から賞賛を受けるほど素晴らしい音楽を作れる、というベートーベンが不思議で、この本をよく読み返していたのを覚えています。
ベートーベンの音楽への情熱は、本当に人の心をとらえて離しません。
音が聞こえなくなることが、音楽家である彼にとってどれほど辛いことだっただろうと思いますが、それでも安易に死に逃げず、音楽をやめなかったベートーベンの姿勢は、時を経てもなお美しいと思います。

大人になり、クラシック曲の持つ音の繊細さと美しさに目覚めてからは、ベートーベンの偉大さがより深く理解できるようになりました。ベートーベンの凄さは、「この曲は本当に、難聴の方が作ったんだろうか…?」という一言に尽きます。交響曲第7番・第9番(歓喜の歌)を好んで良く聴きますが、こんなに複雑で美しい旋律をどうやったら思いつくのかが、まず分からない。ましてや、さまざまな楽器の音を組み合わせて、完成後何百年後を経てなお称賛を受ける交響曲に仕上げる方法は、耳がよく聞こえていても私には創作不能です。

昔には凄い方がいたものだ、と時折本を読み返しては、しみじみ感じています。

「エジソン ― いたずらと発明の天才」(崎川範行 著) あらすじと読書感想文

小学生向けのエジソンの伝記。幼い頃小学校を追い出され「低能児」のレッテルまで貼られたエジソンが、後年電灯など今の生活になくてはならないものを次々と発明した発明王になるまでを、分かりやすく説明下さっている。

「エジソン ― いたずらと発明の天才」のあらすじ

エジソンは幼い頃から好奇心旺盛で、製材所や造船所に出かけて行っては機械に手を出したり、職人を質問攻めにしては煙たがられるような子だった。小学校でも先生を質問攻めにして先生に煙たがられ、「低能児」の扱いを受けて、ついには小学校を辞めてしまう。

だが、牧師の娘で学校の先生をしたこともあるお母さんに励まされ、小学校を辞めた後、お母さんから教育を受けることになる。8~9才の頃から「世界史」「科学辞典」「解剖」などの難しい書物で学び、想像力を鍛えるため「文学」もたくさん読んだ。

学びながらエジソンは働き始め、働きながらも大好きな実験と物づくりを精力的にやり続けた。12才の時には新聞の売り子をしながら汽車の中で化学実験をし、汽車を白煙でいっぱいにしてこっぴどく怒られたり、苦労して作った装置が全く認められなかったりと、新しい道を進むが故の苦労も何かと多いのだが、とにかく物作りが止まらない。

大人になっても物作りへの情熱は衰えることを知らず、電話の開発と特許取得で科学者ベルと争ったり、電球を発明するのにありとあらゆる材料を試した挙げ句赤字の値段で売り出したりと、周りのだれもが「無理だ」と考え驚くようなことを、次々と成し遂げ成功させていく。

「エジソン ― いたずらと発明の天才」の読書感想文

わずか11才で働きながら実験三昧の日々というのは、子ども心にも羨ましかった。
自分自身もカレンダーを破いては紙の家を組み立てたり、彫刻刀であちこち彫り刻んでは自分の手まで切ってしまい母を慌てさせるような子どもだったから、11歳にして学校に通わず物作りと実験を日々繰り返しているエジソンの姿は魅力的だった。

しかもエジソンは、物作りと実験を重ねながらも10代にして経営まで始め、好きなことを商売としても成り立たせてしまったのだから、大したものだ。

また、数多くの失敗と障害を積み重ねても、それでもめげないエジソンの姿勢に驚かされる。この伝記で読むだけでも、数えきれないくらいの失敗をし、叱責や批判的な反応も数多く食らっている。それでも、伝記のどのページを開いても、エジソンの人生は物作りと挑戦に彩られている。エジソンは、本当に物づくりが好きだったんだろう。どれほどの失敗や障害に出くわしても、可能性が残されている限り、彼には「諦める」という選択肢はないらしい。

好きだから続ける。いいものを作ることが出来れば何よりも嬉しい。そんな気持ちが、ページの端々から伝わってくる本だった。

「花神」(司馬遼太郎 著) の読書感想文と、村田蔵六さんの足跡を訪ねて(宇和島,大阪)

「花神」は、幕末に長州藩の討幕軍総司令官となった大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた本です。

「花神」の説明

寡黙で人付き合いが拙く、「お暑いですね」という挨拶に「夏だから暑いのは当たり前です」と何とも空気の読めない返事を返すお人、村田蔵六さん。挙句、高杉晋作から「火吹達磨」というあだ名を頂戴するほどの醜男でした。

にもかかわらず、同時代の誰よりも秀でた語学力と緻密な計画力、それに先を見通す豊かな想像力で、寒村の医者から転じて医療・軍事の翻訳技師になり、最終的には討伐軍の総司令官となった村田蔵六の生涯を描いています。

上・中・下巻の3冊構成。

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「花神」の読書感想文

「花神」は、司馬遼太郎さんの本の中で私の暫定1位です。(暫定2位が「坂之上の雲」、3位が「新撰組血風録」)
自分が技術者として日々を過ごしているので、栄達を求めず一技術者として愚直にひたすら技術を磨き続けた蔵六さんの生き様には、学ぶところが多いです。

大坂で適塾の塾頭を務めるほどの秀才でありながら、家業(医者)を継ぐため故郷に戻らざるを得なかったり、時代の寵長州藩にいながらも何年もの間地味に埋もれ続けてしまったりと、技術者らしい世渡り下手な点にも共感を覚えます(笑)

そんな蔵六さんですが、蘭学者を求める幕末という時代の需要に合わせる形で、長州から宇和島、宇和島から江戸へと蔵六さんの運命は次々と展開していきます。

村田蔵六さんの住居跡(愛媛県宇和島)

村田蔵六さんの軌跡を訪ねて、愛媛県南部(南伊予)にある宇和島を旅しました。
宇和島には、蔵六さんが宇和島藩で過ごしていた頃の住居跡が残っていました。JR宇和島駅から南に徒歩15分ほど行ったところにあります。
 (住所: 愛媛県宇和島市神田川原
  地図: http://loco.yahoo.co.jp/place/g-Qhf71i2qB2o/map/
  JR宇和島駅から南下し、神田川にぶつかったら川沿いに歩いていると、住居跡の看板が見つかります)

着いた瞬間、「あれ、狭いな」と感じる程こじんまりとした場所で、住居跡の目の前に美しい小川があり、鴨が1羽を散策されるのがお好きだったそうです)

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡の目の前の川

住居跡には真っ白な石が敷き詰められていて、敷地の奥には綺麗な黒い石で作られた椅子と机があり、訪れた人が腰掛けて休めるようになっていました。宇和島周辺の蘭学関連の史跡案内のパネルも置かれています。

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡にある史跡案内

宇和島は海に面しており、蔵六さんの住居跡から海へも徒歩10~15分程です。静かな街で、近くの道の駅では新鮮な魚が魚の形をしたまま売られており、魚も練り製品も美味でした。

村田蔵六さんの終焉の地(大阪)

大阪市内を自転車で走っている時、村田蔵六さんが息を引き取られた場所を偶然通りすがりました。
 (住所:大阪府大阪市中央区法円坂2丁目1番14号(大阪医療センター)
  地図:なし
  大阪市営地下鉄谷町線の谷町四丁目駅から徒歩圏内。大阪医療センターという国立病院の敷地の角です)

見上げるほど大きな石碑が置かれていました。

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その1

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その2

師:緒方洪庵さんに蘭学を学んだ地で息を引き取られたのかと思うと、不思議な感慨が沸きました。最期にお世話になった病院が、病院として今も同じ場所に在るのも嬉しかったです。

「人類をすくった“カミナリおやじ” ― 信念と努力の人生・北里柴三郎」(若山三郎 著) 読書感想文

小学生向けの北里柴三郎の伝記です。北里さんも、少年時代が科学者とはかけ離れていて大好きでした。

「人類をすくった“カミナリおやじ”」の説明

北里柴三郎は、血清療法を発見しノーベル賞候補にまで数えられた日本の科学者です。

少年時代は勉強の「べ」の字もないほどのわんぱく少年で、川で魚を獲ったり、剣道にあけくれたりと、本の序盤は全く勉強や科学の話が出てきません(笑)

北里さんの転機は、大学に入り嫌々ながら顕微鏡を覗いてみた後に起こります。そしてその後、数々の研究にのめり込むように取り組まれていくお話が描かれています。

「人類をすくった“カミナリおやじ”」の読書感想文

偉人の伝記を読むと、その方に直接会っているように感じたり、その方の傍から一緒に人生を眺めているように感じるので、昔から好きなジャンルでした。そして子ども時代に勉強が大嫌いだった偉人の伝記を読むと、子どもは特に勇気づけられますね(笑)
「勉強嫌いなの私だけじゃないんだ。勉強嫌いでも私も将来凄い人になれるかも!」と、読んでいてよく感情移入しました。

飲んだくれの親に育てられた音楽家(ベートーベン)や、小学校を摘み出された発明家(エジソン)や、いじめられっ子だった武士(坂本龍馬)や、数年間遊び呆けた科学者(北里柴三郎)などなど、どの本も大好きで、繰り返しよく読みました。

特に北里柴三郎さんの伝記は、子ども時代にわんぱくし放題だった経験が、勉学と研究にのめり込んでから生きてきます。何時間もぶっ通しで研究をし続ける体力や根気、長い間成果を出せなくとも諦めない心の強さなど、伝記の序盤の勉強嫌いの日々が大人になってからの北里さんを支える役割を果たすので、人生って何がプラスになるか分からないんだなあ、と子どもながらに感じました。