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「青列車の秘密」(アガサ・クリスティ 著) あらすじと読書感想文

「青列車の秘密」のあらすじ

第1章のあらすじ

パリのいかがわしい一画にあるアパートの5階。そこで、鼠のような顔を持つ小男と、どぎつい化粧をした女が富豪の到着を待っていた。
男の名はボリス・イヴァノヴィッチ、女の名はオルガ・デミロフ。男は、スパイの王とも言える男だった。建物の向かいでは、歩道の上で2人の男が同じく富豪の到着を待っている。歩道には2度2人の男の白髪の男が行き来し、その白髪の男こそが歩道の男どもの黒幕ではないかと推察された。

約束の時間になり、肩幅の広いアメリカ人の大富豪が、男女の待つ部屋を訪れた。取引の詳細を公にしない、という条件に同意した富豪は、小男の差し出した包紙の中身を丹念に調べ、札束と交換で包紙を受け取り、部屋を後にする。歩道の男2人が、音もなく富豪の後に続き、夜の闇に消えた。

「ホテルまで辿りつけると思うか」そう問うたボリスに、「辿りつけるでしょう」とオルガ。「ただ…」とオルガは言い淀み、富豪が持つ包紙の中身をプレゼントされるであろう女性については、言及を避けた。シルクハットをかぶり、マントをまとった上品な男が、通りをゆっくりと歩いていく。男が街灯のそばを通る時、豊かな白髪が照らし出された。

「青列車の秘密」のあらすじ

火の心臓と呼ばれる、きずのない大粒のルビー。名高い宝石の例に漏れず、美しさの裏に血塗られた歴史を持つこのルビーを贈られた女性が、超高級寝台列車ブルートレインの中で非業の死を遂げる。探偵として名声を博していたエルキュール・ポアロが偶然同じブルートレインに乗り合わせ、事件の調査を依頼された。

身寄りのない老夫人の遺産を引き継いだキャサリン・グレー、旧家に生まれながらも放蕩ほうとうな生活が祟り経済的に行き詰まっているデリク・ケタリング、デリクの愛人で派手な生活を好むダンサーのミレーユ、アメリカで指折りの大富豪ヴァン・オールデン、富豪の若く有能な秘書ナイトン、伯爵を名乗りつつも貴婦人を食い物にするド・ラ・ローシュ伯爵……。

さまざまな登場人物とその恋を織り交ぜながら、ストーリーは予想外の結末へと進んでいく。

「青列車の秘密」について

原題は”The Mistery of the Blue Train”。名探偵ポアロシリーズの一作。
著者はAgathe Christie、訳者は青木久恵。
早川書房ハヤカワ文庫出版、定価820円(税抜)。

「青列車の秘密」の読書感想文

※ネタばれを含みます。問題無い方のみ続きをお読みください。

アガサクリスティのポアロシリーズは、TVドラマと原作とを両方味わう派だが、このブルートレインについては、原作の方がおすすめできる

主人公であるキャサリン・グレーの過去や立ち居振る舞いや考えが厚めに描かれているので、より感情移入でき、淑女を絵に描いたような穏やかで思慮深いキャサリン側に、読者はどうしても立ちたくなる(笑)
キャサリンの今後に含みを持たせる終わり方になっているので、デリク・ケタリングとのこれからが気になりつつ、彼女により良い未来が広がっているといいなと思った。キャサリンなら、レコンベリー城主夫人も務まるだろう。

ちなみに、邦題「青列車の『秘密』」というのは誤訳じゃないかとすら思うほど、青列車は超高級なだけで普通の列車だった(笑) 「秘密」の一言で「情事」を暗示しているのかもしれないが、仕掛けつき列車をイメージした阿呆な読者(=私)もいる…。「青列車の難事件」とでもする方が、本文の内容に沿う気がする。

TVドラマ版では、「火の心臓」と「ブルートレイン」を映像で見ることができる。深紅の色をした大粒のルビーが美女と事件を彩り、内装に贅を凝らした超高級列車が何度も映し出されるので、見ていて楽しかった。TVドラマ版のポアロシリーズは、どの作品をとっても映像美がある。ドラマ版のキャサリン・グレーは物凄く清らかで可愛らしい方が選ばれており、特に眼福だった(笑)

登場人物の役どころとストーリーが原作からは大きく変更されているので、原作とは違う作品と思った方が、ドラマ版を楽しめるかもしれない。

「国境の南、太陽の西」(村上春樹 著) あらすじと読書感想文

村上春樹氏の異性論、として読ませて頂いた。

「国境の南 太陽の西」のあらすじ

一人っ子だった「僕」は小学生の時に同じく一人っ子だった「島本さん」と心を通わせるようになるが、島本さんの転校により2人は離れ離れになってしまう。

その後高校生になった僕は、イズミという日曜日の朝のような気持ちの良い子と付き合いつつも、イズミの従妹と肉体関係を持ってしまったことで、イズミを決定的に損なったまま別れてしまう。

30才になり有紀子という女性と結婚し、子どもにも恵まれ、ビジネスの上での成功を収めた頃になって、僕は美しい大人の女性となった島本さんに再会し……。

「国境の南 太陽の西」の読書感想文(という名の純文学的読み解き)

※ネタばれを含みます。ネタばれしても構わない場合のみ、続きをお読みください。

この著作のテーマは、異性としての女性だと感じた。

「イズミ」と「イズミの従妹」の位置付けが、対象的で見事。イズミとは心の通い合わせのみで、イズミの従妹とは性交渉のみで会話すらないことを考えると、イズミは「僕」の恋心の精神面を担い、イズミの従妹が「僕」の恋心の肉体面を担う存在として描かれている。精神的にはイズミに惹かれ、肉体的にはイズミの従妹に惹かれる高校生の僕は、身体と心が乖離しがちな十代後半の男性の恋を、くっきりと描き出しているように思う。

そして本のタイトルに冠された「国境の南」と「太陽の西」。国境の南は、深く知る前は関心とあこがれの対象であり、深く知ってみると平凡でがっかりさせる存在として描かれる。そして太陽の西は、平凡な生活の中唐突に人を駆り立て、どこまで行っても辿り着かないもの、として描かれている。
これらはどちらも、異性の象徴ではないだろうか。

「僕」や私たちがそうであるように、人は日々の穏やかな生活の中で、不意に嵐に遭うように、異性に惹かれる。その衝動は強く、気でも狂ったかのようで、穏やかだった日常を狂わせ、吹き飛ばし、それでも私達は自分にとっての「異性」となる相手を求め、知ろうとする。
だがひとたび異性の対象である相手を深く知ってしまったが最後、異性へのときめきや新鮮さは永遠に失われ、日常だけが手元に残る。「島本さん」は永久に失われ「有紀子」だけが残るというラストが、それを象徴しているように思った。

村上春樹さんの著作の中では異色とも思える作品だと感じるが、私は不思議とこの作品が好きだ。純文学的に読み解くことが最も楽しい作品だったからかもしれない。

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「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治 著) あらすじと読書感想文など

ひたむきに音楽に取り組む青年と、夜ごと現れる動物たちのお話。

「セロ弾きのゴーシュ」の試し読み

青空文庫(無料の電子図書館)で「セロ弾きのゴーシュ」が公開されているのを見つけました。まず試し読み(立ち読み?)されたい方は、下記のリンクよりどうぞ。

 「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治)
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/470_15407.html

「セロ弾きのゴーシュ」のあらすじ

※ストーリーの前半部分のみを記載。

町の楽団員としてセロ(弦楽器のチェロ。バイオリンと比べ、一回り大きく低い音が出る)を弾く係のゴーシュは、楽団の中で一番下手で、いつもみんなの演奏の足を引っ張ってしまっていました。

ある日みんなで車座になって第六交響曲の演奏の練習をしていても、厳しい楽長にリズムの遅れや音階のずれ、それに音楽に怒りや喜びの表情が出ないことを指摘され、何度も演奏を止めてしまいます。
みんなとの練習を終えた後、ゴーシュは1人壁の方へ向いてぼろぼろ涙をこぼし、その後1人でひとしきり練習をして、畑のある自宅へと戻りました。

自宅でも虎のように激しく夜更けまでセロの練習を重ねていると、夜毎さまざまな動物達が訪れて、なぜかゴーシュに頼みごとを持ちかけるようになりました。

一日目は大きな三毛猫、二日目は灰色のかっこう、三日目は子だぬき、四日目はねずみの親子……そんな動物たちに、ゴーシュは怒鳴ったり喚いたりしながらも応対していきます……。

「セロ」って何ですか?

お子さまも読まれると思いますので、セロについて補足します。

この物語で出てくる「セロ」とは、楽器の「チェロ」のことです。下記の写真↓が、チェロです。バイオリンと同じ形をしていますが、バイオリンよりもずっと大きく、小学生の背丈くらいの大きさがあります。

音もバイオリンより低く、穏やかな森のような、不思議な深みがあります。チェロの音色は、「人間の声に最も近い」とも言われているそうです。
チェロの有名な曲を、1曲だけリンク貼っておきます。セロ弾きのゴーシュを読む前や読んだ後に、よければ一度聴いてみてください。

バッハ 無伴奏チェロ組曲 1番

「セロ弾きのゴーシュ」の読書感想文

※ストーリーのネタばれを含みます。問題ない方のみ続きをお読みください。

セロ弾きのゴーシュは、「音楽に表情がない」と指摘された主人公ゴーシュが、何故か毎晩ゴーシュの元へとやってくる動物たちと接し、少しずつ心を通わせる物語です。

1夜目の三毛猫は動物虐待じゃないかと思うくらいいじめて追い返したのに、2夜目のかっこうにはちょっと優しくなって、最終夜に至っては、ちび相手に至れり尽くせりですよね(笑) かわいすぎる。

そして、2夜目のかっこうには、私が最も好きな台詞が登場します。

—————————————–
ゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。
 するとかっこうはどしんと頭を叩たたかれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように
「かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ」
と云いってやめました。それから恨うらめしそうにゴーシュを見て
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」
と云いました。

—————————————–

名もない灰色のかっこうが、「かっこう」と鳴くその一言だけを、繰り返し繰り返し、喉から血が出るまで練習する。かっこうの持つ真摯な姿勢に心を打たれます。そして、その姿は毎夜人知れずセロを弾き続けるゴーシュさんとも重なります。

ゴーシュさんが「印度の虎狩り」を弾き切る場面も好きですが、物語の終わり方にもとても余韻があり、大人になった今でも印象に残っています。

児童書の枠に収めておくには勿体ない、深みと優しさのあるお話だと思います。短編なので、大人であれば1~2時間あれば読めてしまうのではないかと思います。

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「ノルウェイの森」(村上春樹 著) のあらすじと読書感想文

売上部数1,000万冊を誇る、村上春樹さんの不朽の名作
娯楽的読み物としても楽しめますが、文学作品としても素晴らしかったです。

 

「ノルウェイの森」の説明(あらすじ)

飛行機でドイツの空港に到着した際、37歳の「僕」が機内で流れたビートルズの曲「ノルウェイの森」を耳にしてしまう場面から物語が始まります。ノルウェイの森により呼び起された記憶は、長く複雑な青春時代へと遡ります。

「僕」が恋し精神を病んでしまった直子、17歳で自殺した親友キズキ、生気あふれる女の子緑の登場、びっくりするほど優秀で孤独な先輩永沢さんと、その優しい恋人ハツミさん、音楽を愛しながら精神の治療を続けるレイコさん……深い喪失を伴いながら、物語が展開します。

「ノルウェイの森」の読書感想文(という名の純文学的読み解き)

※小説のネタばれを含みます。問題ない方のみ続きをお読みください。

この作品のテーマは、死と生だと感じました。主要人物のうち3名が死を選び、3名が生を選ぶのが象徴的です。そして生と死の間に位置しながらも生を選んだのが「僕」であり、生きながら死への不帰路に着いている私たちではないでしょうか。

離陸中の飛行機という旅路の途中から物語が始まり、どこでもない場所で終わるという作品全体の構造や、精神を病んでしまった「直子」に心から恋をしながらも、生を謳歌するはつらつとした「緑」にも惹かれるという「僕」の揺れ動くこころが、生と死の間でどちらにも惹かれながら生きている「僕」と私たちを象徴しているように思います。

生と死をテーマと考えた時、多すぎるほどの性的描写も、作品全体に漂う深い喪失感にも納得がいきました。性的描写は、新たな生を生み出す営みを暗示していると感じます。(とはいえ、性描写は個人的に苦手なので、少し減らして頂けると嬉しいですが…(苦笑))

読書感想文からはやや話が逸れますが、春樹さんのこの小説は、若かりし頃の自分にとってどうしても忘れ難かった一言が載っている小説でもありました。

「文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかない」

小説の始まりから50ページも進まないところに書かれている一文ですが、まるで小さな棘のようで、読後10年以上経った今でも、自分の脳裏に刺さったままです。話す人も書く人も、言葉に依存する限り、100%はあり得ない。この言葉を戒めとして、これからも文章を綴っていきたいと思っています。

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村上春樹さんのデビュー作「風の歌を聴け」を読む

昨今ノーベル賞候補に挙がっている村上春樹さんのデビュー作

「風の歌を聴け」の説明

大学で生物を学んでいる主人公「僕」が過ごした、21才の夏のお話です。
「鼠」という名の金持ちな、でも金持ちを心の底から嫌っている青年とつるみ、「ジェイズバー」で恐ろしい量のフライドポテトを食べ、ビールを飲み、そして一人の女の子と出会います。

「風の歌を聴け」の読書感想文 (という名の純文学的読み解き)

※小説のネタばれを含みます。ネタばれしても問題無い方のみお読みください。

「風の歌を聴け」は春樹さんのデビュー作だそうですが、紛うことなく、この本は村上春樹さんの作品ですね。文の読みやすさ、文体の軽さと柔らかさ、そして小説全体の底深くに流れるテーマまで、本全体から春樹さんらしさを感じます。

タイトルの「風の歌を聴け」という言葉、「風」が象徴するのは通り過ぎるともう二度と戻らないもの、ではないでしょうか。

21歳の夏も、「僕」が出会いそして別れた女の子も、人の長い人生の中で出会うのは一度きり。「袖触れ合うのも多少の縁」という言葉がありますが、縁があるのも僅かな時間で、通り過ぎてしまえばもう二度と戻ることはないのだ、ということを、この本の読後9年目にしてようやく分かりました。

そしてそれが私たちの生きる世界の純然たる事実であることに気づいた時、この本はまさに「文学」を冠するに相応しい本だと感じました。

厚さ1cmに満たないほど薄い文庫本ですが、村上春樹さんの著書を初めて読まれる方におすすめします。私もこの本が第1冊目でした。大学の夏期特別講義で島根大学の教授が来られ、授業で「風の歌を聴け」を取り上げて下さったのが、この本との出会いです。私にとっては無上の僥倖でした。

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「花神」(司馬遼太郎 著) の読書感想文と、村田蔵六さんの足跡を訪ねて(宇和島,大阪)

「花神」は、幕末に長州藩の討幕軍総司令官となった大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた本です。

「花神」の説明

寡黙で人付き合いが拙く、「お暑いですね」という挨拶に「夏だから暑いのは当たり前です」と何とも空気の読めない返事を返すお人、村田蔵六さん。挙句、高杉晋作から「火吹達磨」というあだ名を頂戴するほどの醜男でした。

にもかかわらず、同時代の誰よりも秀でた語学力と緻密な計画力、それに先を見通す豊かな想像力で、寒村の医者から転じて医療・軍事の翻訳技師になり、最終的には討伐軍の総司令官となった村田蔵六の生涯を描いています。

上・中・下巻の3冊構成。

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「花神」の読書感想文

「花神」は、司馬遼太郎さんの本の中で私の暫定1位です。(暫定2位が「坂之上の雲」、3位が「新撰組血風録」)
自分が技術者として日々を過ごしているので、栄達を求めず一技術者として愚直にひたすら技術を磨き続けた蔵六さんの生き様には、学ぶところが多いです。

大坂で適塾の塾頭を務めるほどの秀才でありながら、家業(医者)を継ぐため故郷に戻らざるを得なかったり、時代の寵長州藩にいながらも何年もの間地味に埋もれ続けてしまったりと、技術者らしい世渡り下手な点にも共感を覚えます(笑)

そんな蔵六さんですが、蘭学者を求める幕末という時代の需要に合わせる形で、長州から宇和島、宇和島から江戸へと蔵六さんの運命は次々と展開していきます。

村田蔵六さんの住居跡(愛媛県宇和島)

村田蔵六さんの軌跡を訪ねて、愛媛県南部(南伊予)にある宇和島を旅しました。
宇和島には、蔵六さんが宇和島藩で過ごしていた頃の住居跡が残っていました。JR宇和島駅から南に徒歩15分ほど行ったところにあります。
 (住所: 愛媛県宇和島市神田川原
  地図: http://loco.yahoo.co.jp/place/g-Qhf71i2qB2o/map/
  JR宇和島駅から南下し、神田川にぶつかったら川沿いに歩いていると、住居跡の看板が見つかります)

着いた瞬間、「あれ、狭いな」と感じる程こじんまりとした場所で、住居跡の目の前に美しい小川があり、鴨が1羽を散策されるのがお好きだったそうです)

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡の目の前の川

住居跡には真っ白な石が敷き詰められていて、敷地の奥には綺麗な黒い石で作られた椅子と机があり、訪れた人が腰掛けて休めるようになっていました。宇和島周辺の蘭学関連の史跡案内のパネルも置かれています。

宇和島藩(現愛媛県)にある大村益次郎(村田蔵六)住居跡にある史跡案内

宇和島は海に面しており、蔵六さんの住居跡から海へも徒歩10~15分程です。静かな街で、近くの道の駅では新鮮な魚が魚の形をしたまま売られており、魚も練り製品も美味でした。

村田蔵六さんの終焉の地(大阪)

大阪市内を自転車で走っている時、村田蔵六さんが息を引き取られた場所を偶然通りすがりました。
 (住所:大阪府大阪市中央区法円坂2丁目1番14号(大阪医療センター)
  地図:なし
  大阪市営地下鉄谷町線の谷町四丁目駅から徒歩圏内。大阪医療センターという国立病院の敷地の角です)

見上げるほど大きな石碑が置かれていました。

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その1

村田蔵六(大村益次郎)の終焉の地(大阪)にある石碑その2

師:緒方洪庵さんに蘭学を学んだ地で息を引き取られたのかと思うと、不思議な感慨が沸きました。最期にお世話になった病院が、病院として今も同じ場所に在るのも嬉しかったです。