「国境の南、太陽の西」(村上春樹 著) あらすじと読書感想文

村上春樹氏の異性論、として読ませて頂いた。

「国境の南 太陽の西」のあらすじ

一人っ子だった「僕」は小学生の時に同じく一人っ子だった「島本さん」と心を通わせるようになるが、島本さんの転校により2人は離れ離れになってしまう。

その後高校生になった僕は、イズミという日曜日の朝のような気持ちの良い子と付き合いつつも、イズミの従妹と肉体関係を持ってしまったことで、イズミを決定的に損なったまま別れてしまう。

30才になり有紀子という女性と結婚し、子どもにも恵まれ、ビジネスの上での成功を収めた頃になって、僕は美しい大人の女性となった島本さんに再会し……。

「国境の南 太陽の西」の読書感想文(という名の純文学的読み解き)

※ネタばれを含みます。ネタばれしても構わない場合のみ、続きをお読みください。

この著作のテーマは、異性としての女性だと感じた。

「イズミ」と「イズミの従妹」の位置付けが、対象的で見事。イズミとは心の通い合わせのみで、イズミの従妹とは性交渉のみで会話すらないことを考えると、イズミは「僕」の恋心の精神面を担い、イズミの従妹が「僕」の恋心の肉体面を担う存在として描かれている。精神的にはイズミに惹かれ、肉体的にはイズミの従妹に惹かれる高校生の僕は、身体と心が乖離しがちな十代後半の男性の恋を、くっきりと描き出しているように思う。

そして本のタイトルに冠された「国境の南」と「太陽の西」。国境の南は、深く知る前は関心とあこがれの対象であり、深く知ってみると平凡でがっかりさせる存在として描かれる。そして太陽の西は、平凡な生活の中唐突に人を駆り立て、どこまで行っても辿り着かないもの、として描かれている。
これらはどちらも、異性の象徴ではないだろうか。

「僕」や私たちがそうであるように、人は日々の穏やかな生活の中で、不意に嵐に遭うように、異性に惹かれる。その衝動は強く、気でも狂ったかのようで、穏やかだった日常を狂わせ、吹き飛ばし、それでも私達は自分にとっての「異性」となる相手を求め、知ろうとする。
だがひとたび異性の対象である相手を深く知ってしまったが最後、異性へのときめきや新鮮さは永遠に失われ、日常だけが手元に残る。「島本さん」は永久に失われ「有紀子」だけが残るというラストが、それを象徴しているように思った。

村上春樹さんの著作の中では異色とも思える作品だと感じるが、私は不思議とこの作品が好きだ。純文学的に読み解くことが最も楽しい作品だったからかもしれない。

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